KEYSIの歴史
KEYSIのルーツ
KEYSIの創始者であるフスト・ディエゲスは、1957年、スペインの小さな鉱山町に生まれました。
まだ幼い頃に引っ越した町は平穏とは言いがたく、フストは不幸にも過酷な少年時代を過ごしました。幼い頃から何度も恐ろしい体験に遭遇し、その度に、自分の命を守るために逃げざるを得ませんでした。
フストは14歳から鉱山で働き始めました。鉱山には気性の荒い男が多く、フストは幾度となくストリートファイトに巻き込まれました。「自分の身は自分で守るしかない」という厳しい現実を思い知らされたフストは、「ストリートファイトにおける最適な対処法」を見つけるため、様々な武術を研究するようになりました。
フストはこの頃に空手と出会い、武道の持つ精神性に大きな影響を受けます。また、鉱山で自分よりも多くの石炭を持ち上げる仲間を見て、人間には効率的な身体の使い方があることを発見し、身体操法を追求することの重要性に気付きました。鉱山での生活はつらく苦しいものでしたが、ここでの経験がやがてKEYSIの礎となっていきます。
ある時、鉱山で大規模な崩落事故が起こり、多くの仲間が命を落としました。幸運にもフストは生き延びることができましたが、この壮絶な体験はフストの精神に大きな衝撃を与えました。これを機にフストは鉱山を離れ、一層武術の訓練に打ち込むようになります。しかし、フストが探していた“答え”が見つかることはありませんでした。
やがてフストは「答えは一人ひとりの中にしか存在しない」という考えに至り、自分自身の答えを求めてKEYSIの創造を開始しました。
KEYSIの歩み
1975年、フストはスペインのバレンシア州にあるプエルト・デ・サグントという町に、Keysi Academy of Self-Defenseを開校しました。このアカデミーでは、フィリピン武術の「カリ」や、ブルース・リーが創設した武道「ジークンドー」、今や世界的に有名な「ボクシング」など、様々な武術を護身術として教えていました。
一方、彼が培ってきた経験と知識を基に、ルールやリングではなく、日常生活に焦点を当てた護身プログラムの開発を、当時右腕のような存在であったアンディ・ノーマンと共に進めていました。
1980年、フストはアンディと共に、自らが作り上げた護身プログラムを多くの人に広めるためにKeysi Fighting Method(KFM)を設立。KFMは日々、護身の技術を進歩させるだけでなく、指導マニュアルの改善にも努め、少しずつスペインの外へ進出していくことに成功しました。
特にクリストファー・ノーラン監督のバットマン3部作(『バットマン・ビギンズ』『ダークナイト』『ダークナイト・ライジング』)、トム・クルーズ主演『アウトロー』のアクションに採用されたことを機に、KEYSIは多くの人に知られることとなりました。
しかし、多くのビジネスがそうであるように、急激な成長がフストとアンディの間にビジョンの食い違いを引き起こし、2012年、二人は袂を分かつことになりました。
アンディは独立して新たなビジネスをスタートさせた一方、フストは原点に立ち返り、KEYSI Fighting Method by Jusyo Dieguez(ケイシ・ファイティングメソッド・バイ・フストディエゲス)へと改名し、新たな道を歩み始めました。
KEYSIのいま
KEYSIは現在、ヨーロッパを中心に、アメリカ、南米に多くのアカデミーがあります。アジアではまず韓国が第一陣を切り、日本、インドと続いています。
日本では2016年、東北の最南端に位置する福島県白河市にKEYSIアカデミーを開校。続く2017年、東京の世田谷区を拠点とする二つ目のKEYSIアカデミーを開校しました。
KEYSIはいまだ未完成です。KEYSIが産声をあげた1980年と比べ、現代人のライフスタイル・ライフサイクルは急速に変化しています。日常生活に焦点を当てているKEYSIは、当然その変化に合わせ、変わるべきもの・変えてはならないものを見極めながら、日々アップデートされています。